群馬県の八ッ場ダム水没予定地にある川原湯温泉。
その中の柏屋旅館さんに泊まった事があります。
私がサラリーマンとしてメーカーに入社早々、その会社の群馬工場に日帰り出張を命じられました。
右も左も分からぬペーペーで、全く仕事が終わらず急きょ宿を用意してもらったのが柏屋旅館さんです。
夜、遅くに入ったにもかかわらず親切にしていただいた覚えがあります。
「ここら辺は、その内ダムに沈んじゃうんだよ」 なんて聞いたのは今から15年くらい前です。
今の時代そんな事があるの?、なんて半信半疑でしたがもう現実になろうとしています。
その後も、泊まりの出張の際は何度か柏屋旅館さんにお世話になりました。
そんな出張を繰り返しているうちに、当時の部長に
「そんなに行ったり来たりしないで1ヶ月くらい群馬に腰をすえて仕事して来い」
と言われ、しばらく群馬に居座る事になりました。
さすがに1ヶ月間、旅館泊まりという訳にはいきませんので工場の近くにアパートを借りてもらいました。
ほぼ新築のキレイなアパートで快適に1ヶ月過ぎ出張も終わりが近づきました。
そんな頃、今度は当時の常務に
「お前はもう群馬工場になくてはならない人材だ」
みたいな事を言われ、正式に転勤が命じられました。
入社して数ヶ月のペーペーがなくてはならない人材な訳ないだろ!と思いましたが、逆らえるわけなく
同期で一番の転勤となりました。
会社に用意された席は工場長のまん前で、とにかく緊張したのを覚えてます。
が、数ヶ月後には嫌味の一つや二つや・・・、が言える程仲良くなり、会社を止め10年近くになりますが、
未だに年賀状だけですがお付き合いさせて頂いてます。
ま、工場長に対して仲良くって言うのも変な表現かもしれませんが、結構ご飯やゴルフに
連れてってもらったり、娘さんの友達との合コンを開いてもらったりと、今となっては仲良くって
表現もありかな、と思ってます。
そして社宅として用意されたのは、築30年以上経ってる団地でした。
一番最初にしたことは換気扇口にあるハトの巣の除去と波乱なスタートでした。
前に住んでいたのがアジア系の方なのか、何故か床にそっち系の言葉がづらづら書いてあって怖かったです。
この団地は田んぼに囲まれてて、夜はゲコゲコの大合唱を子守唄に眠ったものです。
そんな環境ですので田んぼや道でのカエルは見慣れましたが、トイレのドアを開けた瞬間に
アマガエルと目があった時はたまげました。
だって、わたしの部屋は5階ですよ。
わざわざ5階まで登ってきて僅かにあいた窓の隙間から入ってくるなんて奇跡としかいいようがありません。
まして、そんな奇跡が2回もあったのだから、天文学的奇跡?です。
この住まいでの出来事を書き出したらきりがありませんので、今度また書いてみます。
なんで、いきなりこんな事を思い出したかって、↓ の記事を読んだからです。
八ッ場ダム水没予定地、老舗旅館に最後の客
確かにすごく栄えた温泉街ではありませんが、独特のいい雰囲気がありました。
いまさらですが、ダムを作る必要ってあったんでしょうか?
コメントを残す